ニューヨークの地下鉄駅Spring Streetを出て、横断歩道を渡れば私の勤めるデザイン会社がありました。青い空を見上げ、この私がマンハッタン、それもSOHOのデザインスタジオに 勤めることができるなんてまるで夢のよう。人生捨てたものじゃない!と思ったのは、今から30年程前。英語も話せず、車の運転もできず、アメリカ生活を始 めた3年後のことでした。

1980年前半のことです。言葉では、上手くコミュニケーションはとれないけれど、ビジュアルなもので人と通じ合うことはできると信じ、日本でのアシスタントグラフィックデザイナーの経験を活かしていこうと思いました。

コンピュータも無い時代のことです。全ての作業は手で行われ、日本で覚えたデザイン、レイアウト、版下作業を片言の英語で再修行。シカゴの某病院内にあるグラフィックスデパ—トメントでボランティアを始めました。

数ヶ月後、ようやくささやかながらも時給をもらえるようになったところで、主人の就職がニューヨークに決まり引っ越し決定。私は、何とも頼りないポト フォーリオらしきものをかかえ、ニューヨーク中の新聞広告をみては履歴書をだし、インタビューを受け、不採用の通知をもらい、その繰り返しのなか、運良く SOHOのデザインスタジオに就職することができました。そこは小さいけれど、イギリスやスウェーデンから来たデザイナーもいて刺激的でした。私は、とり あえず、何でもやるアシスタントから始めたのです。

デザインのメッカ、マンハッタンでは、School of Visual Art で ミルトングレーザーを始め、他にも名の知れたデザイナーが教えるクラスに参加し、アグレッシブで競争心丸出しのデザイナーからのチャレンジにもまれながら も、充実感を味わっていました。

そんな快適なニューヨーク生活が3年たった頃、再び主人の仕事の都合でマサチューセツ州に引っ越し。同時に私は長女を授かったのでした。

1990年あたりから,業界ではコンピュータが出始め、私は、フリーランスで子育てをしながら、グラフィクスデザインのプログラムのクラスをとり、新しい 土地に引っ越せば、知り合いの誰もいないところから,ネットワーキングやマーケティングを勉強し、自分のクライアンテルを少しずつ増やしていったものでし た。

1995年にサンディエゴに移った後二人目の子供が産まれ、その頃から世の中にはインターネットがかけめぐり、誰もがウェブサイトをもつ時代となりまし た。私は、焦りを感じながらも,息子がプリスクールに入るのを待つと、ウェブデザインサーティフィケイトのクラスに通い始めました。

そこから、人脈を増やすためのネットワーキング、マーケティング、そして、Tanaka Graphicsが始まりました。スモールビジネスオーナー、ノンプロフィットオーガナイゼーション、コピーライター、マーケティングコンサルタントの パートナー達からプロジェクトを頂くようになっていきました。

それからの数年は瞬く間に過ぎ、上の子供がいよいよ他州の大学に行くと決まった時、ふと私の中に、このままグラフィックデザインを続けていきたいのか、という疑問が湧いてきたのです。

そんな時に出逢ったのが、111本のカラーボトル、オーラソーマカラーシステムでした。

グラフィックデザイナーとして、色のもつ意味合いはある程度知っていると思っていましたが、色と私達人間、この関係がいかに深いものであるかを知り、この 綺麗な色達に心をうたれたのでした。そして、この色の知識を自分のグラフィックデザインに役立てようとオーラソーマプラクティショナーL2のライセンスを 取得したのでした。

オーラソーマのコンサルテーションを開始しだすと、私は,いつの間にか序々にグラフィクデザインのプロジェクトを手放し、オーラソーマプラクティショナーとして道を歩みだしていました。

—オーラソーマとグラフィックデザインの融合—

マイクロウェーブカルチャー、インスタントグラディフィケーションが主流なこの国アメリカでは、カラーアロマセラピーやエネルギーセラピーなど自分とは関 係ないと考える人も多いですが、昨今ヨガ、ホーリスティックライフスタイル、ヘルスコーチ、ウェルネプラクティショナーという言葉をよく耳にするようにな りました。

人々の意識も少しずつ変わっていく中、私自身も、オーラソーマに加え、エッセンシャルオイル、クオンタムタッチ、アートセラピーなどを加えたユニークな セッションやワークショップを通して、それぞれのクライアントさんにその人の色を生きてもらうためのライフスタイルウェルネスアドボケイトとして、日々を 楽しく過ごすことが出来るようになりました。

たった一人でコンピュータスクリーンの向こう側で仕事をしていた時の私に比べ、今ではたくさんのウェルネスプラクティショナーや、エネルギーワーカーの方々に出逢うようになり、コラボレーションやイベントにとワクワクする日々です。

そうして出逢ったウェルネスプラクティショナーやエネギーワーカーの方達とお話しているうちに、いつしか昔とった杵柄で、ビジネスカードやウェブサイト、ブランディングやマーケティングマテリアルのカラーアドバイスなどをすることが多くなっていきました。

このウェルネス業界に従事する方は、ご自分の仕事にパッションを抱き、人々を癒すことに大きな喜びを感じられています。ただそれだけやっていれれば幸せ、という方が多いです。

しかしながら、ビジネスという形にしていくうえでは、やはり人に知ってもらわなければなりませんから、マーケティングもブランディングも大切になってきます。そこで、デザインはデザイナー任せ,という事になってしまう人も多いのです。

デザイナーは,デザインのプロフェッショナルではありますが、大切なのは、貴方にデザインの主導権があるべき,ということです。デザインにあなたがあわせるのでなく、オーナーのコンセプトに、ビジュアル化をお手伝いするのがデザイナーです。

私のデザイナー現役時代には、“貴方のビジネスはひと言で表すとなんだと思いますか?”“どんなお客様にきて欲しいと思うのですか?”“というような質問 をしてプロジェクトを始めました。そうすると、ご自分の考えがもっと明確になっていった方、始めに考えていたビジネスと全く違ったことを発見して方向転換 をなさった方など、多くのかたに役立つことができました。

そこで産まれたのが、この“ビジネスチャクラワーク”というわけです。